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童謡学

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むすんでひらいて 〜「ルソーの夢」

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むすんでひらいて 〜「ルソーの夢」


「むすんでひらいて」は、こどもたちにもよく知られているだけでなく、童謡についての学としてもよく研究されている好例の一つなので、この歌から始めよう。

この歌を聞くと、幼い子の動きを思い浮かべたり、こどもっぽい声で歌い始めたり、なぜかうきうきとしてしまったりするのではないだろうか。日本の保育園や幼稚園に行っていたならば、「むすんで、ひらいて…」の歌詞に合わせて身体が動き出すように刷り込まれているはずだ。

そんな幼い頃の「お遊戯」によって知られている歌であるが、音楽学者の海老沢敏による「むすんでひらいて」の研究は、この歌のとても興味深い歴史を明らかにしている。1986年に出版された著書『むすんでひらいて考 ルソーの夢』にその研究の成果がまとめられているので、この本の内容から次の要点についてとりあげてみよう。


・ジャン・ジャック・ルソーが作曲したというのは本当か
・「むすんでひらいて」のメロディはいろいろな国で歌曲や賛美歌や器楽曲に使われてきた
・「むすんでひらいて」は明治末期の幼児教育から始まる



あのルソーが作曲したの?

著者の「むすんでひらいて」研究の出発点は「ルソーの音楽」という関心にある。それは、序章「『むすんでひらいて』とルソー」、第一章「『むすんでひらいて』はルソー作曲か?」、終章「ルソー的歌曲としての『むすんでひらいて』とルソー的音楽の世界」、あとがきで詳しく述べられており、著者の「ルソーの音楽」研究の経緯がよく分かる内容になっている。

序章と第一章で提起されているのは、あのルソーが「むすんでひらいて」のメロディを本当に作曲したのか?という問題である。このメロディは戦前から異なる歌詞でも歌われており、その代表的な曲である「見わたせば」を含む『小学唱歌集』を明治14年に編纂した伊澤修二は「ルーソウが睡眠中に夢に作りたる曲」と書いている。一方、ルソーの音楽の研究史としては、音楽評論家の園部三郎による論考「ジャン・ジャアク・ルソーと音楽」があり、そこに「むすんでひらいて」の作曲者が「ルソーであることはほとんど知られていないだろう」という記述があることを海老沢は引用している。さらに、園部のこの記述は、昭和11年に『音楽評論』誌で発表された初稿「音楽史に於けるルソーの地位」では書かれておらず、戦後の昭和23年に『音楽史の断章』というタイトルの下に三一書房から出版されたときに加えられているということを海老沢は見つけている。海老沢によれば、「むすんでひらいて」の歌詞がつけられている歌が小学校の音楽の教科書に載り「文部省唱歌/ルソー作曲」と記されるようになったのは戦後のことである。海老沢が「ルソーの音楽」の研究を始めた昭和30年代の時点で、「むすんでひらいては本当にルソーが作曲したのか」という質問を受けることがあったというが(実はまだ音楽史的には具体的な証拠がなかったこの頃の事情はCD『むすんでひらいての謎』のライナーノーツに書かれている)、その後も出版物においては「『むすんでひらいて』がルソーの作曲によるものであるという説は一応常識として定着したか」のようであった。

しかし、海老沢の研究で明らかにされたのは、ルソーが作曲した歌劇『村の占師』の「パントミム(劇中黙劇)」の器楽曲のメロディが18世紀末に誰かによって歌曲として編曲されて(歌詞がつけられて)歌われるようになり、さらにこれらの歌曲を元にしたと考えられる「ルソーの夢(ピアノフォルテのための主題と変奏曲)」の楽譜が1812年に出版され(「むすんでひらいて」のメロディはこのピアノ変奏曲で明確に現れる)、その「ルソーの夢」のメロディが国境を越えて歌曲や賛美歌や器楽曲に使われてきたという経緯であった。したがって、海老沢の研究によれば、正確にはルソーの曲を元にして改変されてきた過程で生まれた「ルソーの夢」のメロディがいろいろな歌詞で歌われるようになり、今の日本では「むすんでひらいて」として歌われているということになる。全く同じメロディではないのだからルソーの作曲とするのは少々さかのぼり過ぎではないかと私なら考えてしまうのだが、このような歴史的なメロディの作曲者の記載をどのように統一するのかについては、実際の出版においては簡単なことではないかもしれない。

園部が述べているのはルソーが「偉大な思想家であったことは誰一人しらぬ人はないが、彼が同時に作曲家であったことをしっている人はきわめて少いのではないだろうか」ということであり、それを「むすんでひらいて」を例にして示していたのであるが、「むすんでひらいて」のメロディをルソーが作曲したと伝えられてきた経緯についても、誰もが知っているメロディでありながらよく知っている人はいなかったのである。



軍歌もあのメロディで

CD『むすんでひらいての謎』には「むすんでひらいて」に関する24のトラックが収録されている。そのうちの2つは「むすんでひらいて」。1つはルソーの『村の占師』の中でのパントミムの曲。その他は「むすんでひらいて」とは異なる歌詞、器楽曲など。その中から、以下、簡単な評を。

1. むすんでひらいて<日本/遊戯歌>
私が選ぶなら、このCDのベストトラックはこれ。幼稚園でのレコーディング。「はじまりまーす。げんきよくうたいましょう」と言われて歌い始めるのはお茶の水女子大学付属幼稚園の園児たち。明治の末、前身の女子高等師範付属幼稚園で「遊戯」の「結んで開いて」が生まれた…なんて大人の思惑は知っているのだろうか、そろえてはいるけど、年齢相応にばらばらな感じがいい。手の打ち方はなかなか。手を打つ音もこの歌の一部だ。

2. 『村の占師』パントミム<スイス〜フランス/歌劇>
海老沢研究でもおなじみのルソーの曲。問題の冒頭のメロディは、いわれてみればそうかもしれないとは思うが、モーツァルトのきらきら星のようには分からないだろう。この冒頭のメロディをイントロにして「むすんでひらいて」を歌い始めるのはいいかもしれない。

5. ルソーの夢(ピアノフォルテのための主題と変奏曲)<ドイツ〜イギリス/ピアノ曲>
前奏の後、むすんでひらいてのメロディとわかる主題がはっきりと出てくる。そして、変奏で繰り返される。たしかに、これです、これ。ピアノ演奏のネタとしてはいいのではないでしょうか。

21. 見わたせば<日本/唱歌>
その古色蒼然たる歌詞ゆえに歌われなくなったと言われてしまったりするが、こうして聴く分には、歌詞に合わせて歌い方が変わることが面白いし、これはこれで一つの世界があり、他のトラックと比べても、決しておかしく聞こえるというものではない。唱歌風にレコーディングされていて、オルガンの伴奏に、すーっと伸びる合唱。「むすんでひらいて」よりも少しゆっくりのテンポにするといい感じになるだろうか。メロディが同じでも歌い方次第でいかようにもなるものである。でも、この歌詞で歌いなさいと言われたら困る。あくまで鑑賞されることをオススメする。耳をすませば、といった感じ。

22. 戦闘歌<日本/軍歌>
「みわたせば」と始まるのであるが、「あおやなぎ」とはいかず、一転して「寄せて来たる 敵の大軍面白や」と進行、いや、進撃していく。テンポも速い。男ばっかり。
しかし、よくもまあ、新たにレコーディングしましたね。おそらく、現場では…。




「誰もが知っている」と思われている童謡には、誰の目にも見えなくなっている経緯がある。その歌詞については隠された意味という歴史がとりあげられることは多いが、そのメロディについては「○○らしいメロディ」「思わず○○してしまう」とされるがために全く異なる曲として使われる可能性は考えにくいかもしれない。メロディをもたらす音の知覚そのものは、歌われるたびに「いま歌っているもの」としてあるのだが、それは同時に、幾度も衣替えしてきた代物であったり、知らない間に手が加えられたりするような、伝承や記憶によるものでもある。主に作曲や編纂をする側の楽譜や文献などの制度的な断面だけでは見えなくなっている、主に歌う側の伝承や伝播という社会民俗的な側面が童謡のメロディには含まれている。



文献
海老沢敏『むすんでひらいて考 ルソーの夢』岩波書店 1986年




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