1992年の映画『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』には、こんなシーンがある。
一家揃っての晩御飯。
ももこ「ぬれたこうまのたてがみを〜なでりゃりょうてにあさのつゆ〜」
おとうさん「(おちょこを持ちながら)お?、おまえ、その歌よく知ってるな、おい」
ももこ「学校で習ったんだ」
おとうさん「おれの小せえ頃は、その歌の替え歌が流行ったもんだぜ」
ももこ「え、替え歌?どんなの?ちょっときかせてよ」
おとうさん「くだらねえ替え歌だぜ?」
ももこ「いいよ…どうせくだらないんでしょ。期待してないけど聞きたいよ」
おとうさん「じゃ、ちょっと聞かせてやるか(ちゅっとお酒をすすり、おちょこを置いて)
やまのおくのくすりやさん〜
はくぼくけずってこなぐすり〜
うまのしょんべんみずぐすり〜
ほら、はなくそまるめてまめじんたん〜
あ、そりゃそりゃそりゃ
それをかうのはあんぽんたん〜
おじいさん「ひろし、今の歌、替え歌って本当かい?」
もしこどもが歌っている歌を童謡というのであれば、「童謡」として録音されている音のほとんどは童謡ではないだろう。また、「こどもの頃に歌っていた歌」として童謡を捉えているなら、上のおじいちゃんのような悲劇も起きる。実際には、童謡といわれている歌は、おとなとこどもの相互の干渉による産物としてある。それを可能にしているのが、よく知られている替え歌というプロセスで、おとなが教科書に載せる歌を編纂するときも「配慮」して替え歌をし、子ども向けの歌として録音するときにも替え歌をし、あるいは意図せざる歌い方の違いも生まれ、こどもによる替え歌はこどもの間で流行することがある。それをおとなになっても歌う。それをおとなが耳にする。そして…。
「めんこい仔馬」は、戦前の映画『馬』の主題歌として制作され(「陸軍省選定」となっている)、ラジオの番組「國民歌謡」から知られるようになった歌で、この映画では、かつての歌詞には今では知られていない続きがあるという事情が紹介されながら、かつての歌詞の目的とはおそらく異なる「別れ」をテーマにした解釈がストーリーの軸になっている。
この映画はディズニーの『ファンタジア』やビートルズの『イエローサブマリン』に影響されて制作されたらしく、ストーリーとは別に、アニメーションと「音楽」の関係の歴史についても気になってくる作品だ。わたしの場合は、同じような関心から童謡という発想に興味を持つようになった。たまたまかもしれないが、「國民歌謡」のようなラジオ放送による歌は、戦後の日本放送協会の「みんなの歌」へとつながっていき、歌詞の削除や変更だけではなく、映像的な印象もつくりだすようになった。音楽の映像、映像付きの音楽という形式(を活用する考え方)は、映画作品というよりは「放送」のメディアにおいて教育やPVなどの目的で進められている。トーキーやアニメーションの映画が新しいものであったとき、当初は音や動きとの同期という技術的な観点から「音楽」の映画が構想されやすかったようであるが、今となっては音楽の映画というものは特殊なものとなり、冒頭の主題歌など一部の音楽のシーンを除けば、映画を見ているときの経験としては馴染みのない形式になっているのかもしれない。この映画では、大滝詠一の「1969年のドラッグ・レース」、細野晴臣の「はらいそ」、笠置シヅ子の「買い物ブギ」の映像シーンが面白かった。戦前から戦後の日本のポップミュージックをひとつのストーリーのなかで体験できるようにしている珍しい作品でもある。
文献
アニメ版 ちびまる子ちゃん―わたしの好きな歌
サイト
ウィキペディア 映画ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌
YouTube
ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 「1969年のドラッグレース」
ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 「はらいそ」
ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌 「買い物ブギ」